事実婚7年目、陳情アクションメンバーの上田めぐみさんの場合

選択的夫婦別姓・全国陳情アクションのメンバーの上田めぐみさんは事実婚7年目。ご自身が選択的夫婦別姓に関心を持ったきっかけや事実婚について、語ってくれました。

――選択的夫婦別姓に興味を持ったきっかけを教えてください。
1990年代、夫婦別姓の話題が盛り上がった時期がありました。1996年の法制審議会の答申につながる議論がされていた頃です。当時私は中学生で、メディアの報道を見ながら「確かに、なんで女性ばかり姓を変えるんだろう?」と思っていました。「自分は姓を変えたくないなぁ」と漠然と思い始めたのはこの頃です。

高校生になって、家庭科の先生が授業で夫婦別姓を取り上げたんです。先生自身も改姓が嫌でたまらなかったのに周囲の圧力で改姓して、後悔していることを話してくれました。その先生のおかげで、私は「あ、やっぱり私は間違っていないんだ」と思ったんです。

同時に、自分が大人になっても法律が変わっていなかったら「自分が変えたい」と、密かに決意していました。何か使命を感じたんでしょうね。だから私の選択的夫婦別姓への情熱はもう30年、筋金入りです。

――それで勉強をされた?
大学進学を考える時にたまたま立命館大学のパンフレットを見て、事実婚研究の第一人者で、家族法の権威でもある、二宮周平教授を知りました。先生が「事実婚の法的保護を研究しています」とゼミを紹介する記事を読んで、運命を感じました。迷わず進学して、二宮ゼミに入り、ジェンダーと家族法について学びました。

出身の北海道から京都まで、どれほどの距離なのかたいした考えもせず、若かったですよね~。両親は苦労したと思います。

でも、大学での学びで夫婦同氏の強制は人格権の侵害だと理解しましたし、知識があれば事実婚もまったく恐れることはないと確信しました。

さらにジェンダーの学びを深めたいと思い、卒業後はイギリスの大学院へ進学。フランスにも留学した後、ジェンダーの専門家として国際協力の仕事に就きました。南米やアフリカをフィールドに、母子保健や感染症対策、地域保健プロジェクト等に携わりました。海外で取得した学位や資格、職務経験があるのも改姓すると困る理由のひとつです。

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――どのような形での結婚を望んでいたのですか?
実は結婚願望がまったくなくて、万が一結婚するとしたらきっと日本人は無理、国際結婚するから法律的に別姓にできるんだろうな、なんて思っていたんです。ところが意外な展開があるもので、日本人男性と結婚することになりました。同居を始めるのをきっかけに、両親と食事会でもしようか、という話し合いから、結婚パーティをすることに話が広がってしまって(笑)

姓を変えたくないから、事実婚でいきたいと話したら、彼はそれまで改姓の問題にまったく関心がなかった分「ふーん、いいんじゃない」という反応。「あなたがそう言うならそうしましょう」という感じでした。まっさらな分、そんな考えもあるんだ、くらいの気持ちだったんでしょうね。彼から「自分が姓を変えてもいいけど」と言われたこともありますが、私は自分の嫌なことを相手にさせるのもイヤだったので、断りました。

――事実婚をすることについて、周囲から反対はされませんでしたか?
私の両親は私の信条を知っていましたから全く反対しないですし、彼の両親からも特に何も言われませんでした。盛大に結婚式もして、たくさんの人に祝福してもらいました。

よく双方の両親に反対されて泣く泣く法律婚に、という話を聞きますが、私の場合はまったくそれはありませんでした。今も双方の両親と良い関係を築いています。

ちなみに結婚式は、担当のプランナーと何度も打ち合わせをして、私の思いを伝え、「家同士の結婚」を連想されないように協力してもらいました。「〇〇家」の表現は絶対ナシで、個人名の結婚パーティーにしましたし、両親への感謝の手紙は、私も彼もそれぞれ読み上げました。

司会者とも事前に打ち合わせをして、私が作成した「NGワード・フレーズ集」を渡しました。注文の多い客と思われたでしょうけど、初のケースだったそうなので「知らないなら教えてあげましょう!きっとこれから増えるんだから」という気持ちでした。

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――事実婚で困ったことはありましたか?
当時、日本赤十字社という人道支援団体で働いていたのですが、結婚休暇は取得できたのに、福利厚生制度の結婚お祝い金が支給されませんでした。「お祝いの趣旨で支給されるのに、法律婚はおめでたくて、事実婚はおめでたくないのですか?」と労働組合にも入って2年かけて担当部署と交渉しましたが、まったく理解されませんでした。

最初に交渉した人事課長からは「事実婚も認めたら支給対象者が急増するので財政的に困る」という根拠のない発言までありました。仮に対象者が増えたって、職員が積み立てしているのだから、誰も困らないんですけどね。

「異性間の事実婚すら認めなくて、今後同性婚が増えたらどうするんですか?」と聞いたら「そのような人が今後入ってきたら考える」という回答。つまり、「そんな人職場にいない」という認識のようです。全国に6万人以上職員がいる団体なのに、笑っちゃいますよね。人道支援団体なのに職員の人権問題には疎い。こういう職場ってまだまだ多いのではないかと思います。

ただ、生命保険の契約で困ったことがありました。夫の保険の受取人にはなれたのですが、請求人には認められませんでした。つまり、夫が死亡した場合、私は夫の保険金を受け取る権利はあるけれど、請求する権利はないということです。彼は残された私のために保険に加入したのに、いざ亡くなったら実親を介さなければ、自分の意思が尊重されない結果になるのです。保険会社によって扱いが違いますが、もっと理解を深めてほしいです。

――お子さんの妊娠・出産時に事実婚だと苦労が多かったのではないですか?
2年ほど不妊治療をして昨年出産しました。不妊治療や関連する検査は法律婚カップルの場合、国や自治体から助成金が出ますが、事実婚は対象外なので、自費で賄いました。(自治体によっては事実婚も対象としているが、私の居住地では当時対象外だった)

事実婚の場合、出生届は母の氏名のみ記入して提出します。でも私とパートナー、2人の子なのだからそれは嫌だと思いました。父母それぞれの氏名を記入して出生届を提出するには、事前に胎児認知が必要です。胎児認知は女性側の本籍地でする必要があるので、まず私は自分の戸籍を両親の戸籍から分籍して、本籍地を居住地に変更しました。その後夫が胎児認知をしました。

出生届には「嫡出子」「嫡出でない子」のチェック欄がありますが、差別記載なのでどちらにもチェックせず、両方を傍線で消して提出しました。その他欄に「出生子は母の氏を称する」と記入します。役所では「チェックしてください」と言われますが「しません」と言えば受理されます。法務省からの通達で決められている運用です。

子の出生時に婚姻届と出生届を提出して、ペーパー離婚する事実婚カップルもいますが、婚外子の相続分差別や続柄記載の差別は既に解消されているので、そのような選択はしませんでいた。

――子育てで困ったことはありますか?
子どもに関連する手続きや手当はすべて私に紐づいているので、何か不利益を受けたとか、もらえるはずの手当がないとか、そういうことはまったくないです。保育園の入園関係でも、両親の姓が違うことを指摘されたことは一度もありませんでした。基本的に子どもを中心にママ・パパと位置づけられるので、名乗る機会もほとんどないです。

ただ、一番の困り事は共同親権がないことです。夫も1年の育休を取って2人で一生懸命子育てしているのに、彼には親権がないのです。今後子どもの成長過程で問題に直面しないか、子どもに不利益はないか、不安に思っています。

――陳情アクションに参加したきっかけは何ですか?
2018年から第2次夫婦別姓訴訟の事務局をボランティアで担当していたので、その仲間から紹介されました。まだ陳情アクション設立間もない頃です。

はじめは地方議会から意見書を国会に送付したところで法的拘束力はないし、無視されて終わりなんじゃないかと活動の効果には懐疑的でした。でも裁判は結果が出るまで数年はかかりますし「自分にできることをしなければ!」という気持ちでメンバーになりました。

先日私が居住する自治体でも1年半の働きかけの末、意見書が可決されました。活動してみて思うのは、意見書可決も大事なことですけど、そのプロセスも重要だということです。これまで会ったこともない区議に連絡して、アポをとって、説明に出向いて、議論を重ねる。人の意識を変えていく作業を私たちはしていると思いました。

自分の生活の困り事って政治につながっているんですよね。住民が声を上げることで地域の議員とつながり、意見書が地方議会と国会をつなげていく。このプロセスこそが大事なんだと実感するようになりました。

支援してくれる議員がいることで自分自身も地元に愛着を持つようになりますし、議員が住民から得た新たな視点を持って政治活動ができることは、住民全体にとって有益なことです。

――最後に、陳情アクションへのメッセージをお願いします。
自分が大人になっても民法が変わっていなければ「自分が変えたい」と思ってからもう30年近く経ちます。私は国会議員でも弁護士でも訴訟の原告でもないですが、今、市民活動で法改正を働きかけていることに、何か必然的なものを感じています。

30年前よりもずっと、選択的夫婦別姓を好意的に受け止める声が増えて、社会全体の追い風が吹いています。このクラウドファンディングがさらに大きなうねりになるよう、私も活動を続けていきたいです。