国境を越えられない事実婚・通称使用

海外の結婚&姓の選択事情

日本ですすめられようとしている「旧姓の通称使用」。

一見、問題を解決するように見えるこの方法も、海外で暮らす上では様々な問題が発生します。

2019年4月19日選択的夫婦別姓裁判・広島地裁304号法廷にて口頭弁論があった時、意見陳述で読み上げられた菊地さんの事例を、ご本人のご了解を得て再編しました。

研究者として名前を変えないため事実婚に

 私は、日本の地方国立大学に准教授として在職、現在オーストラリアにて在外研究をおこなっています。夫婦ともに研究職で、1999年の挙式後も、それぞれが日本、アメリカ、アイルランド、オーストラリアの大学に所属を変え別居生活でした。私のこれまでの研究業績、国内外の修士号・博士号はすべて「菊地」のため、事実婚を選択し、「菊地」のまま研究を続けました。

出産時のVISA取得のため入籍し通称使用へ

 出産を控えたとき問題が起きました。その時夫はオーストラリア、私は日本で働いていましたが、産休・育休中、夫とキャンベラで共に暮らすことを計画し、そのために永住権VISAが必要になりました。事実婚では永住権VISAが申請できないため仕方なく、2009年に、私が夫姓Oに改姓するかたちで婚姻届を提出。改姓後も、「菊地」を通称使用することとし、オーストラリアで暮らし始めました。

 オーストラリアでも大学に所属することになりましたが、すべてKikuchiで登録。運転免許証や銀行口座名をはじめ、家の契約書などもKikuchiで統一しました。戸籍名のOは、パスポート、永住権ビザ、オーストラリア国内の(永住権を持った人に与えられる)国民健康保険のみに使用されることになりました。

「旧姓の通称使用」による海外での問題

 娘の出生証明書を、オーストラリアの役所に申請したときに問題が起きました。写真入りの身分証明書として、パスポートと運転免許証の提示を求められたのですが、運転免許証はKikuchi、パスポートはOですから、名前が一致しません。日本では婚姻届けに夫婦同姓が強制されるので旧姓を通称使用していること、そのためパスポートと免許証の姓が違うという説明で手続はしてくれましたが、「このままでは、あなたは二人の人間になりすましていることになるので、どちらかに統一しなければいけない」と注意を受けました。

 日本国内では「旧姓の通称使用」は一定の理解が得られ、戸籍謄本の提出で本人確認はできます。しかし、婚姻改姓の制度がない当地では、職場(大学)、銀行口座、免許証、著作物等、すべて「Kikuchi」である私が、Oのパスポートを持っていることは、別人物になりすましていると疑われるのです。つまり、日本国外では、二つの姓を持つことは、あらぬ疑いをかけられ、社会的信用を失い、犯してもいない犯罪行為を疑われることにもなり、想像もしないような大問題に発展する可能性があるのです。

 同様の問題は出張時にも起きています。国外からの招聘状にはKikuchiで、パスポート名はO。これでは入国が困難になることもあります。招聘先が手配したKikuchi用の航空券も、Oのパスポートでは搭乗できません。これらはすべて仕事に支障をきたし、経済的な不利益を生んでいます。

「旧姓の通称使用」による国内での問題

 また、日本で一時帰国した際にも、通称名で仕事をしているために、疑念が抱かれ、社会的信用が損なわれる実害が生じました。保育園の手続を戸籍名、こどもの姓のOでおこなったときです。役所や保育園関係者がインターネットで私の職場を確認すると、大学にはOは存在しないからです。「職場では旧姓を使っていて菊地なのです」と説明する機会を与えられないかぎり、私は嘘をついているとみられても仕方がない立場に立たされます。通称使用とは「旧姓・新姓が記載してあり、同一人物であることを証明する書類」、つまり戸籍謄本を提示しないかぎり、疑惑の目で見られるような行為であるのです。

 どちらかの名前に統一するには、離婚手続きを経てパスポートを旧姓菊地にする、または私のオーストラリアでの身分証明書をすべてOに変更するかのどちらかです。Oになれば、私は「菊地」として大学内・学会内で活動できなくなります。過去の研究業績及び著作物を、Oに変更することは不可能です。改姓するということは、これまでの「菊地」のすべての業績を失うことになり、実質、私の研究者生命は死を迎えることになります。

別姓を選択できない日本から知識流出が進む

 このような悩みは、国際社会ではほとんど理解されません。21世紀の「先進国」では、個人の選択を尊重し、選択的別姓が認められているからです。オーストラリアでの知人の夫婦の多くは別姓で、こどもと母親の姓が違う人がほとんどですが、夫婦別姓のために家族の絆が弱いという例を私は知りません。家族は「個人」の集まりですから、家族のそれぞれが別々の姓であることはむしろ当然なのです。

 夫婦として認められるためには同姓にならなければならないという不自由な選択を迫られることなく、女性が職業を持ち、家庭も持ち、こどもも育てながら、その能力を最大限に発揮して生涯を過ごせるような社会に日本社会が変わらなければ、日本から国外への知識の流出は今度ますます進むでしょう。日本国籍を捨て、オーストラリア国籍を取得し、この姓の問題から解放されたい、と考えているのは私だけではありません。日本国内で選択的夫婦別別姓が認められるか認められないか、というのは、私にとっては日本国籍を捨てるか捨てないかを意味しているのです。(提出陳述書抄録)

 

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